自分がもし亡くなった時のための準備/終末期のこと[3]

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昨年9月にこのブログを開設して10ヶ月が経とうとしています。

誰かの役に立てるかもしれないとブログを書いていた夫タケさんの『意思を継ぐ』というのは大袈裟な表現なのかもしれませんが、本人ではない家族からの目線で何かしらお伝えできることがあるのではないか?と思って始めたのこのブログです。

ブログを書きながら闘病生活を思い出してしまって辛くなってしまったり、

タケさんを想って寂しくなったり恋しくなってしまったり…

心が辛くなり過ぎてしまう時には未亡人となった私の何気ない私生活やらどうでもいい(笑)日常を挟んだり…

段々と経緯をお伝えし続けていくにつれ、亡くなる直前の終末期と言える頃のお話を綴るような時期になってきました。

それにつれて私の気持ちが落ち込むというか思い出すのがしんどくて、終末期のその時期を思い出すことから逃げたくなる感情が襲って来る事が増えてきました。

癌が脳に転移して今後の治療法は無いと言われて余命宣告されてから亡くなるまで2ヶ月ちょっと。

普通に生活していればあっという間に過ぎる、ほんの短い期間です。

でもこの期間は家族4人で1日1日を闘い続けた期間であって、私達家族だけでなく周りのサポートに助けられたおかげで何とか過ごすことができた期間でもありました。

目次

訪問看護師が言ったセリフ

終末期の頃の事を書く上で欠かせないのが訪問看護師の存在です。

彼らがいなければ在宅で看取るのは不可能だったと断言できるほど、体力面精神面共に本人だけでなく家族も助けてもらいました。

タケさんが亡くなって四十九日が過ぎた頃、仏壇に線香をあげにきてくれた看護師さん達と、長い時間話をしました。

タケさんのこと、当時の私や息子たちのこと、今後も生きていく私と息子たちのこと…

確固たる信念とプライドを持ってたくさんの方々を看取ってきた看護師さん達。強いエネルギーを感じるチームプレーで支えてくれました。

そんな看護師さんが私に言ったセリフ

『何人も看取ってきた私達は皆口を揃えて「自分なら癌で死にたい」って言うんですよ』

と。

そのセリフを聞いた瞬間

「5年半もこんなに大変な思いをしてタケさんは亡くなったのに、この人たちは何を言っているのか」

と思いました。

看護師さんいわく

癌で亡くなる患者さんは覚悟と準備ができるから』というのがその理由のようでした。

自分が亡くなった時の準備をするということ

確かに直前まで元気だったのにある日突然亡くなった私の父は、本人も家族も何の覚悟も無く放り出されたようなもので、本人も心残りだっただろし、家族もその日から一転してその人がいない日々を送る事になります。

準備も覚悟も当然全く出来ませんでした。

そうやって比べてみれば、徐々に弱っていく身体と向き合い、余命宣告をされて、出来る限りの準備をしてタケさんは亡くなった訳ですし、

私達家族も少しずつ弱っていくタケさんを日々見て少しずつ覚悟をしながらその日を迎えたんです。

でも、

徐々に弱っていく自分と向き合いながらいつ死ぬのかと日々『死』と向き合いつつ、残す家族のために出来る事を少しでも…と準備するタケさんはどんな気持ちだったのだろう。

私は想像する事しか出来ませんでしたけど、その想像はきっとタケさんと同じものでは無かったと思います。

どんなにか怖かっただろう…

どんなにか不安だっただろう…

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