2021年4月、上顎洞癌(腺様嚢胞癌)再発のため、抗がん剤を『パクリタキセル』から『TS-1』に変更した夫タケさん。
パクリタキセルの副作用で身体の限界を感じ変更したのです。
私達夫婦は抗がん剤をやめたら身体はいずれ元に(パクリタキセルを投与する前の身体)に戻ると思っていました。
時間はかかっても段々と戻っていくだろうと。
それが当たり前だと思っていたし、それを疑うことなんて全く考えすらしなかったんです。
だからこそ、身体と心がギリギリになる所まで必死に頑張ってきました。
『パクリタキセル』をやめた後に主治医から聞かされたこと
抗がん剤『TS-1』に変更して何度目かの通院日。
末梢神経障害が治ったら…というような話をタケさんがした時のこと。
他の副作用と違って末梢神経障害は回復が難しい。回復しない人もいる。
と主治医がサラッと。
「え?」
「例えば一年後も元に戻らないって事もあるって事ですか?」と私。
「そうなんです」と主治医。
「はぁ…そうなんですか…」としか言えなかった私。
タケさんが私に言ったこと
もう投与をやめた後の話なのだから、今更主治医に苦情を言ったところでタケさんの状態が良くなる訳ではない。
でも私は納得がいかなくて…
ついタケさんに主治医について、そしてパクリタキセルについて愚痴を言った時の事。
この一年の間、癌がたいして大きくならずに生きてこられたのはパクリタキセルを投与し続けたお陰だと俺は思っているからそんな風に言わないでほしい
と強い口調でそして悲しそうな顔で私に言いました。
もし『末梢神経障害は回復しない場合が多い』と事前に聞かされていたら
実際にパクリタキセルをやめてから亡くなるまでの8ヶ月、末梢神経障害は全くと言っていいほど回復しませんでした。
もし、パクリタキセル投与開始時から末梢神経障害が回復しないかもしれないと分かっていたら…?
ほどほどの所で投与を中断していただろうか?
これ以上悪くなったら戻らないんだから中止しよう…となっていたのか?
何度考えてみても、思い返してみてもきっとそうはならなかっただろうと思います。
きっとギリギリまで耐え続けていただろうと。
でも、タケさんが亡くなって1年4ヶ月経った今でも残る後悔。
どうせなら、覚悟した上で投与を続けたかった。
きっと主治医だけの問題ではない。『情報は主治医から』のみという受け身であった事。私達にも問題がある。
タケさんのSNS
この時のことをタケさんはこう書いています。
不自由を覚悟して生命のために使った抗がん剤
あまりの副作用に苦しむ日々
ぼろぼろになりその抗がん剤はやめた
生命は依然として保証されていない
新しく使い始めた抗がん剤に大きな期待はできない
それでも生命が続くと信じていたのにもう歩けないとは…
小学生とグランドを走り回ったり
夜の街で歌ったり踊ったり
そんな日々が夢のようだ
二人だけの車の中
「もう普通に歩けないのかー」と呟く
少しの間のあと「ちょっとずつがんばろう」とカーチャン
ん…あれれ。あきらめてない
スゲーなーと思う
毎日朝と夜にマッサージしてくれる
オレの負けだ オレもあきらめない
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