重粒子線治療/入院中に起こった副作用[腺様嚢胞癌・上顎洞癌]

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タケさんの入院期間は53日間。

重粒子線治療16回終えるまでで30日間。

残りの23日間は薬を使い、重粒子線治療による副作用が軽減するのをただただ待つという感じでした。

ここからは私の記憶と、タケさんのブログやSNSを辿ってお伝えしていきますね。

目次

重粒子線治療の照射部位

タケさんが重粒子線を当てた場所はこんな感じ。

※タケさんのブログより抜き出しました

治療前から医師に言われていた外見の副作用(入院中・入院後に関わらずずっと)

①皮膚が日焼けをしたようになる

入院中は特に酷い日焼け状態。真っ赤になって腫れていました。

日焼けも焼けすぎると皮膚が黒ずみますよね。

通常だと日焼けしても時間が経つと新しい皮膚が出てきて元に戻るけれど、重粒子線を当てた箇所は黒ずんだまま元に戻らないのでずっと若干黒ずんだままになっていました。

また、日焼けをすると戻らないので今後は日焼けしないような生活をするよう言われていました。

タケさんは男性だからなのか?気にはしていたようですが、『日焼け止めを塗る・帽子を被る』くらいなもので、少年サッカーのコーチをしていたので毎年夏は真っ黒に焼けていましたけど(汗)

②鼻毛・口髭が生えない

照射場所が鼻と鼻の下までかかっていたので、鼻毛と口髭は生えないと言われていました。

実際本当に生えなくて、髭はあまり気にしていないよう(剃る手間が省けて良かったのかも?)でしたが、鼻毛は「ウイルスが侵入しそう」とか言ってマスクを好むようになりました。鼻水がサラッと垂れやすくもなったようです。

入院中(照射期間中)の副作用

日焼けしたように照射箇所の皮膚が赤くなるのは早いうちからあったように記憶しています。

いつも棚の上にはアズノール軟膏が置いてあって、皮膚を保護するようにたっぷり塗るので、左頬はいつもテカテカに光っていましたね。

アズノール軟膏ってこんなの。どデカくて直径10cmくらいあったような気がします。

↓↓↓

タケさん本人にはっきりとした自覚症状を感じ始めたのは照射10回目あたりから。

一週間のうち4回の照射ですから、3週目くらいになりますね。それまでの期間、日焼け以外ほぼ無症状でいられたという事になります。

口の中の炎症が酷くなり、食事は刻み食からミキサー食へ。

ミキサー食になると一気にどんなメニューのおかずが出されているのか分からなくなります。

この頃、お見舞いに行くと大抵夕食どきだったので「おかず当てクイズ」をよくしていました。

ひと口食べてみて、なんのおかずか当てる…という単純なものですが、コレ、本当に分からないです。当てずっぽうで答えてみるけれど当たりません。

メニュー表で答え合わせ。メニュー名を見て、「あー、そうかぁ、確かにその味」って感じです。

『味覚』だけでなく『視覚』で人はご飯を食べているのだと痛感しましたね。

以下、タケさんのブログより

上唇はパンパンに腫れあがりました。
また、鼻と口の間、鼻孔には細かい亀裂のようなものができて、出血するようになりました。

寝る時には「おねしょシーツ」にみないなものを枕元に敷いていました。
そうしないと出血でシーツからなにから血塗れになってしまう状況でした。

http://blog.livedoor.jp/onaga_ren/archives/6684898.html

そして、週末の外泊が許可されなくなり、週末も病室で過ごすようになりました。

この頃から少し精神的に参っているように私は感じていました。

家に帰れないというのはタケさんにとっては辛いことだったんですよね。それだけが楽しみだったんだと思います。

いよいよ照射ももうじき終わりという頃になると、口の中の炎症は益々酷くなります。

鼻・口周辺の腫れや傷は益々ひどくなります。

重粒子線照射中はマウスピースを噛みます。

このマウスピースで口を大きく広げ、下顎に重粒子線があたることを避けるようになっていました。

この週の治療では、このマウスピースがうまく口に入りませんでした。

そのくらい唇が腫れていました。

重粒子線照射の最中は一切動いてはいけません。

わずか1~2分の間ですが、唾を飲み込むこともダメでした。

ところが、唇からの出血が口に流れ込んできます。これが大変でした。

唾というか血を飲まないと呼吸が苦しいという気持ちと、飲んだら動いてしまうから駄目だという気持ちと。

照射終了のサインが出ると、ホッとしたことを覚えています。

http://blog.livedoor.jp/onaga_ren/archives/6691228.html

照射終了後の副作用

こうしてようやく照射は16回全て終了しましたが、まだ退院は出来ません。これからは回復期に入ります。

照射はありませんから、一日中やる事はありません。

辛い症状に合わせて薬が処方されて、回復を待ちます。

出ていた処方薬はロキソニン、うがい薬、鼻に塗るオリーブ油、白色ワセリン、アズノール軟膏、キンダベート軟膏など。

月が変わった11月3日(治療終了から15日後)、ようやく食事が五分粥に変わります。

出血も大分収まってきました。

http://blog.livedoor.jp/onaga_ren/archives/6773764.html

だんだんと症状が改善していきます。

この回復期の間、変わらずタケさんは病室で一日仕事をしていました。

ただ、ミキサー食でだんだんと体重も減っていきましたし、病室にいるだけの生活で体力がかなり落ちていきます。

日に焼けてはいけないということだったので、日が落ちてから病院の周りを息子と一緒に歩く、ということをしていました。

ようやく退院/退院当日にタケさんがしたこと

2016年11月11日(治療終了から23日後)ようやく退院しました。

退院前の検査も良好。

退院後から、3ヶ月に一度の通院(検査と診察)になりました。

退院したその足でタケさんが向かった場所、それは職場でした。

自分が不在中の職場が気になっていたこともありますが、入院中「仕事がしたい」と猛烈に思ったと言っていました。

体力が極端に落ちていたのにも関わらず、職場に向かったタケさんを尊敬すると同時にものすごく心配したのを覚えています。

重粒子線治療・外科手術で開口障害となり、口を開けること、飲み込むことが難しくなってからずっとお世話になりました。タケさんの「食べる」という時間を助けてくれてありがとう。 

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