2016年11月11日、53日間の入院を経て退院しました。
退院当日から職場に直行したタケさんですが、退院してしばらくは体力がもたないようで、仕事から帰宅した時には精魂尽き果てたという風貌で、すぐに泥のように眠るという感じでした。
体力が戻るまでかなりの時間がかかったように記憶しています。
でも体力が戻ってきてからは、照射部位以外は元のように元気になりました。
平日は一日仕事して、土日は少年サッカーのコーチ。
病気になる前と変わらない生活。酒も豪快に楽しく飲むし、タバコも吸う。
今思い返すと、あの3年間は幸せだったなぁ。
だって、ステージ4の癌だと言われたのに、その後3年も元気に過ごせたのは奇跡。
間違いなく重粒子線治療のおかげです。
退院後の経過観察のための通院サイクル
通院サイクルは3ヶ月ごと。
重粒子線治療の病院でMRIとCTを毎回交互に検査。歯科の診察。
検査した画像を持って数日後大学病院へ。
最初の一年くらいは通院の日は心配で心配で…私はタケさんからの連絡を今か今かと不安いっぱいで待っていました。
タケさんも数日前からなんだか様子がおかしくなっていました。ちょっとピリピリしているような、そんな感じ。
毎回毎回順調に腫瘍が小さくなっている画像を見せてもらって安心して、家族で喜んで、また次の3ヶ月まで普通に過ごす。そんな3年間でした。
そんな事を繰り返していくうちに、だんだんと問題ない・経過順調なのは当たり前になっていました。
最初に癌が発覚した時も、まさかタケさんが癌に罹るなんて思っていなかった。
うちは大丈夫だろうなんて思い込んでいました。
この頃もまさか再発するなんて思っていなかったんです。
うちは大丈夫。完治して普通に2人で老後を過ごせるという根拠の無い自信があったんです。
重粒子線治療の後遺症
照射部位以外は問題なく元気に過ごせていましたが、照射部位は常に問題を抱えていました。
①皮膚の黒ずみ
頬の皮膚はいつも若干黒ずんでいる感じでしたね。それでも触って何かなるという感じではなく日焼けの跡が残っているような見た目でした。
②開口障害
最初のうちはあまり気になりませんでしたけど、口が大きく開かなくなってきました。
③口が乾く
唾液の量が減って、口の乾きが気になるようでした。
④上顎部分の口内炎
口内炎には随分苦労しました。
医師から硬いもの・熱いもの・辛いものは食べないように言われていました。照射部位を傷つけないためです。
口内炎は完治することは無く、どううまく付き合っていくかというところがとても難しかったです。
初診の説明で、中長期の副作用に「顎骨壊死」と「抜歯」の話があったので通常起こり得る後遺症なのだと思います。
3年の間に良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、少しずつ少しずつ悪化していました。
私が後悔していること
再発までの3年間はとても幸せな時間でした。
癌になる前とあまり変わらない生活。
変な自信で、この当たり前の生活がずっと続くと思っていました。
癌になる前に描いていた将来像みたいなものをそのままの状態で描いていたんです。
万が一の再発に備えて…なんて縁起の悪いことはしたくなかったというのが正直なところ。
タケさんは平日は仕事、土日はサッカーで帰宅したら疲れて夕方まで爆睡。
私は平日仕事、土日は夕方から習いごと。
なのでお互いそれぞれに充実した生活を送っていましたけど、夫婦で出かけることはほとんどなかったんです。
今はそれぞれやりたい事やって、タケさんが仕事を引退する頃には2人の生活を送ればいいと思っていたんですよね。
今思い返してみると、せっかく元気で動いていられたその3年間は貴重なものだったのに、たまにはお互いサッカーや習いごとを休んで出かけたり、旅行に行ったりすれば良かったな。
タケさんと行きたい所いっぱいあったのにな。
タケさんが開口障害と術後の口内状態が悪化して口を開けるのが困難になってからのお助けアイテムでした。あまり口が開けられなくても食べられたので本当に助けられました。
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