上顎洞癌(腺様嚢胞癌)の再発により、左上顎全摘術を受けた夫タケさんが2019年10月11日、43日間の入院を経て退院しました。
今回はその退院後のタケさんの身体の変化について書こうと思ったのですが…
書こうと思って思い出そうとしたんですけどこの時期の事はほとんど思い出せない(汗)
人間の記憶というのは恐ろしいもので、大変だった事も時間が経つと強烈な記憶のみ残って、あとは段々と月日が経つごとに忘れていくものなんですよね。
だから人間は生きてゆく事ができるのだと聞きますね。確かに大変だったこと、辛かったこと、全ての事を鮮明に覚えていたら辛くて生きて行けなくなる気がします。
私の場合、手術当時の事は比較的鮮明に覚えていて
・自分の想像していたよりも数倍?いや数十倍の大手術で驚いた事
・大手術だったのに回復が早くて驚いたこと
・連日の病院通いが続いて私も家族も精神的にも肉体的にも疲弊したこと
・この頃ゴボさんが予備校を辞めて専門学校進学を決め、家事全般を担ってくれたこと
そしてその後に起こる
抗がん剤の副作用に悩まされ続けたこと
この壮絶に記憶に残る2つ間に入るのがこの時期で、だから記憶があまり無いのかもしれません。
そんな時に頼りになるのが、記録に残るもの。
写真・動画・LINEです。
見返して読み返してみて、「そうだったか」と思い出したり思い出さなかったり…
そんな記録を頼りに今日はこのブログを書いていきます。
退院後のタケさんの身体の変化
タケさんはこの手術で上の歯(右側)奥歯5本を残し上顎と共に切除しました。
切除した箇所には左太ももの組織と皮膚が移植されました。(皮弁と言うそうです)
こんなイメージです。
上顎のほとんどの皮膚が太ももにあった皮膚になったということになります。
皮弁の奥には骨が無いためペコペコとしていて、またこの皮膚はあまり感覚が無いそうで、食べ物が左側に入ってしまうと迷子になってしまうので基本右側に食べ物は入れる事になります。
特に私が衝撃を覚えたのが、口の中にあっても太ももの皮膚なので毛が生えてくるのです。
それはやはり舌に当たるので気持ちの良いものでは無く、受診の時に主治医にその毛を切ってもらっていました。
そして、前歯が無いので噛み切る事が出来ません。何でもひと口サイズにしてから口に入れます。
退院当日の写真(2019年10月11日)
このメインディッシュは何だ?とよく見ても分からん(汗)たぶんゴボさんが作ってくれたのだろうなあ。
あとはおかゆと卵スープ。
そして大量の薬の袋とハサミ。
ハサミで切ってひと口大にしてこのメインディッシュを食べたのです、きっと。
でも退院当日にどの位の量を食べれたのか記憶にありませんが、これ位の食事を食べる事が出来たのですね。
2019年10月21日のLINE
少し前から聴こえが悪い(声を掛けても気付かない)症状があって、この日の診察で両耳共に中耳炎になっていることが分かりました。後に両耳とも管を入れる処置をしています。
2019年11月4日の動画
退院後1ヶ月も経っていないこの頃、家族で公園でキャッチボールをしています。
(この頃は家族で”ポケモンGO”というアプリにハマっていて、よくポケモンをゲットしに公園に出掛けていました)
キャッチボールをする元気があったと言うことになります。
2019年12月7日の写真
キッチンの浄水器の蛇口が壊れて新しい蛇口に交換してくれました。
家でパジャマを着て、そんな状態でもマスクはしています。
重粒子線治療の頃からだったと思いますが、家の中でも常にマスクをしていました。
お薬手帳から分かる事
この時期に処方された薬からタケさんの体調が分かれば…と見てみました。
抗菌薬・点鼻薬・点耳薬・リンデロン軟膏・ロキソニン(飲み薬・貼り薬)など
この頃からずっとロキソニンは手離せないほど、あちこち痛みを抱えていましたね。
上顎切除術について思うこと/後悔していること
こうやって振り返ってみると大手術の後でも比較的元気であったことが分かります。
術後動けない期間があったこと、長期入院であったことから体力の衰えはあったものの、すぐに仕事に行っていましたし、体力も回復していたのだと思います。
でもやはり手術した箇所、口と鼻のあたりは激変しました。
食べるものに関しては重粒子線治療後も慢性的な口内炎で食べられないものがありましたが、その比では無いくらい不便が増えました。
またその後に起こる口の中の変化も、重粒子線治療をした箇所を切った事による合併症に苦しめられる事になります。
私が後悔していること
タケさんが受けた、この左上顎全摘術について私が後悔していること…
それはただ一つ、
手術についてちゃんと理解していなかったこと
これだけです。
重粒子線治療を決めた時、主治医は“すぐに起こり得る症状・少し先に起こり得る症状・数年後に起こり得る症状”を渡された説明用紙と照らし合わせるように事細かに説明してくれました。
その説明で不安が頭の中のほとんどを占めるようになって、それはそれで今思い返してもその不安感が辛い出来事でした。
でもいざ治療に入る時にはタケさんが入院中にどんな症状が出るのか、その先どんな症状が出る可能性があるのか分かっていた事は安心材料になったんです。
私がこの左上顎全摘術にあたりしなければならなかったことは、教授先生の説明の時に手渡された手術に関わる説明用紙を熟読する事。
説明のその時に渡される用紙ですから、その場で熟読は難しいでしょう。
でも説明が終わった待合室ででも熟読して、分からないことはその病院にいる時間のうちにでも聞くべきだったと後悔しています。
どちらにしても、結局手術は受けました。生きるためにそうするでしょう。
でも理解しないで手術を受けるのと理解して受けるのとでは大きな差が生まれます。
「こんなハズじゃなかった」これが術後も、術後ずっとその先も抱えた私の気持ちです。
開口障害で口が大きく開けられなくなったタケさんの「食」を支えてくれたのがこのスプーン。
小さく開けた口でも入りやすい形状で食べやすい。
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