2021年4月から10月までの6ヶ月、上顎洞癌(腺様嚢胞癌)の再発のため、抗がん剤『TS-1』を服用した夫タケさん。
今回は介護保険サービスを利用することになった、その時の事を書いていきます。
キッカケはパクリタキセル投与の待ち時間
私が介護保険を利用できるかも?と思ったキッカケは、タケさんが抗がん剤『パクリタキセル』を点滴投与していた頃です。
既に車椅子の移動の方が楽だと感じていた頃なので、ずいぶんとパクリタキセルの副作用が深刻になっていた時期。
点滴の1時間半の間、付き添いの私はいつも近くの商業施設で時間を潰していました。
タケさんが点滴室の椅子に座って「また後でね」と言って別れるいつもの日常。
駐車場に戻る時にふと前回入院時に入った『患者支援センター』での事を思い出しました。
その時は入院の手続きで入ったのだけれど、癌に関する小冊子みたいなものがたくさん置いてあったなと。
「何か参考になるものがあるかもしれない」
言ってしまえば本屋で時間を潰すような軽い感覚です。
『癌と介護保険』
患者支援センター。部屋の角にたくさん本が並んでいて、要返却のちゃんとした本もあれば、『ご自由にお持ち帰りください』というような小冊子のような本もたくさんありました。
処分してしまってもう手元にはありませんが、『癌と介護保険』といったタイトルの小冊子を手に取りました。
介護保険を利用できるのは65歳以上だと思い込んでいた私は、その時はじめて『介護保険は65歳未満の癌患者にも使える』事を知りました。
使える対象は『回復の見込みのない終末期の癌患者』
そんな理解をした私は、
「タケさんは終末期じゃないし、適用外だな」
勝手に決めつけて頭の中から介護保険の話は消去しました。
「介護保険を使えないか」ダメもとで主治医に聞いてみた日
いよいよ自力で歩くのがままならなくなってきて、家の中も壁づたいに歩くようになった頃、車椅子と室内用の歩行器をネットで購入しました。
まぁ、お高い…
一つ3万円台です(汗)
驚きの金額をキッカケに消去したはずの介護保険の事が頭の中で復活してはネットで調べて「終末期じゃないし」とまた消去する繰り返しの日々。
そんな『TS-1』の時期の通院日。
ダメだろうけど…と思いながらも
車椅子が必須な日常になっていること。生活に支障があることを話をし、「介護保険は使えたりしないか?」と主治医に聞いてみたところ、
「いいですよ。書類書きますよ」
となんともアッサリ。
患者支援センターに行ってくださいと言われ、そこで軽い説明を受け帰宅。
その日のうちに最寄りの地域包括支援センターに電話をした後に出向きました。
介護保険が使えるか?必須だったであろうたったひとつの要項
地域包括支援センターに出向いた私が聞かれたこと。
あれこれタケさんの体調やら現状を聞かれましたが、大事だった事は『主治医が書類を書くと言ったかどうか』の確認だったと強く感じました。
「書くと言った」と話したらアッサリと次の話に進んで、
「希望するケアマネジャーはいるか」と聞かれて「いない」と答えたところ、「調整して追って連絡します」と言われました。
翌日にはケアマネジャーさんが決まり、その日のうちにケアマネジャーさんから連絡がありました。
その時ケアマネジャーさんに聞かれた事も要は『主治医が介護保険申請の書類を書くと言ったかどうか。』
「書くと言った」と話したらすぐに今現在困っている事の話。
そしてその日のうちに介護用品レンタルの担当の方と2人で家に訪れたのが夕方。
(『書くと言ったのなら大丈夫』という暗黙の了解があるのだろうというのは私の想像ではありますが…)
その翌日には
・介護ベッドの設置
・歩くのに不便を感じる箇所への手すりの設置
・浴槽に安全に入るための昇降器
・車椅子で家の出入りをするためのスロープの設置
すべてレンタル品。
介護認定審査の職員の方が来る前のスピード設置でした。
快適になったタケさんの生活
・ベッドからの起き上がりや立ち上がりも
・いつ転ぶか不安だったタケさんの家の中の歩行も
・浴槽の中に座ってしまったら立ち上がれなくてシャワーしか使えなかった入浴も
・家に出入りするのに必須だった階段の登り降りも
この日をキッカケに一気に快適に生活できるようになりました。
介護用品って生活の質を上げる素晴らしいものだったのだなぁ。
感心するのと同時にスピード感を持って設置にこぎつけてくれたケアマネジャーさんや介護用品レンタルの職員さんに感謝するのと、そしてまた同時に
タケさんは回復の見込みの無い終末期の癌患者なのだろうか?
そんな言いようのない不安が渦巻いた一件でした。
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