『パクリタキセル』投与開始から半年後/教え子の試合観戦/急な体調不良

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2020年10月のこと。

2020年10月と言えば、抗がん剤『パクリタキセル』の投与を始めて半年経つ頃。

その日は2台ある車が、点検で1台も家に無かったのだけれど、どこに出掛ける予定も無いから特に問題無いだろうと呑気に過ごしていました。

そんな日、夫タケさんが急に『元教え子達のサッカーの試合があって見にきて欲しいとLINEが来た』とのこと。

グラウンドまでは家から大人の足なら徒歩5分。

その頃のタケさんは副作用の末梢神経障害が進行していて、『杖を使って介助があればなんとか歩ける』という状態。

悩んだけれど近場だし、時間はかかるけど大丈夫だろうと判断して夫婦2人で歩いて出掛ける事にしました。

目次

夢中で取り組んでいた少年サッカーのコーチ

次男ゴボさんが小学校のグラウンドでやっていたサッカークラブに入ったのが小学2年生の時でした。

お父さんコーチにと勧誘されたのがキッカケで、ゴボさんが卒業してもずっと続けてきた少年サッカーコーチ。

癌の再発で上顎を切除した後くらいまで続けていたので10年ちょっとになるでしょうか。

土日祝日が活動日でしたから、正月と大雨の日以外はいつもサッカーで家にはいませんでしたね。

夢中になって指導に取り組んでいました。

ものすごく厳しい反面、ふざけて子ども達を笑わせる…そんなコーチだったので、卒業後も慕ってくれる子ども達がいて、保護者からも卒業した後も飲み会に誘ってもらったりして交流もしていました。

今回のように中学生になった子ども達から試合を見にきてほしいと言われることもあって、時間が合えば喜んで出掛けて行っていました。

杖をついていてもサッカーコーチ

大人の足なら徒歩5分のグラウンド。

杖をついて、私と手を繋いで、ゆっくりゆっくり歩きました。

グラウンドを横目で見ながら「あれは〇〇(子どもの名前)かな?」とか「急がないと前半終わっちゃうな」とか言いながら。

到着まで10分くらいはかかったと思います。

そんな長距離歩き続けるなんてその頃のタケさんにはスゴい事だったんです。

でもグラウンドに到着した時から、タケさんの背中はシャンと伸びていました。

グラウンドですから椅子も無く、ずっと立ちっぱなし。

ハーフタイムには次々と子ども達が挨拶にやってきます。

ひとりひとりに声掛けをするタケさん。杖をついていてもその時のタケさんは変わらず『サッカーコーチ』でした。

結局ちょっと顔を出すつもりが最後まで試合を観戦しました。

急な体調不良

子ども達に元気をもらったんですね。グラウンドを出たタケさんは「もう少し歩きたい」と言いました。

試合の話をしながら楽しく一緒に10分ほど歩いて、コンビニにも寄りました。

レジで会計をする頃に急にタケさんの調子がおかしくなります。

「なんだか調子が悪い」

と言い出し、店の外に出る頃には

「なんかダメだ」

とへたり込みそうな勢い。

一度地べたに座り込んだら、そこから立ち上がらせるのは大変な事だと分かっていたので、必死に寄りかかれそうな場所を探しました。

コンビニの壁に寄りかかってもらって、少し様子をみます。

家まで普通に歩いたら5分ほどの距離でしたが、歩けそうにはありません。

そして家に車は無い

八方塞がりです。

ふと思い出したのが、コンビニで知り合いの家族に会って挨拶したこと。

慌てて店内に戻ったら…まだいた!!

事情を説明して家まで送ってもらうことに。

家の前まで送ってもらって、タケさんは必死に家の中まで歩いて、トイレに駆け込みました。

副作用の『下痢』でした。

この頃は『酷い下痢』と『酷い便秘』の両方で苦しんでいた頃でした。

子ども達のサッカーを最後まで見れて嬉しかったし、

そこまで歩けたのも嬉しかったし、

送ってもらわなきゃ歩けなかったのは申し訳ないし、自信を無くしそうな出来事だったけれど、

知り合いに偶然会った事はラッキーだったし、

助けてもらえた事はやっぱり嬉しいことだった。

良好な人間関係がタケさんを幸せな気分にして、そして助けてももらえた…そんな1日でした。

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