タケさんの闘病– category –
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最後の家族旅行/終末期のこと[15]
タケさんの闘病上顎洞癌(腺様嚢胞癌)の再発・脳転移で在宅緩和ケアに移行した夫タケさん。 『元職場の先輩が宮司をしている神社で祈祷をしてもらう』という夢を叶える為に、家族で神社へ。車で片道2時間の小旅行です。 出発日4日前に昏睡状態になって一度は諦めたこの旅行。 訪問医から万が一体調を崩した時のために…と書いてもらった手紙をお守りに、訪問医と訪問看護師の万全の連携のもとで2021年12月初旬のこの日、家を出発しました。 【心配していたこと】 ①慣れない7人乗りのミニバンを運転すること 体力が無くなって寝... -
余命宣告後初めての小旅行/医師と看護師の事前連携体制/終末期のこと[14]
タケさんの闘病急な昏睡状態から一夜明けた朝。夫タケさんはいつも通りのタケさんでした。 何度呼びかけても身体を揺さぶっても応答がなくて、そんな急に昏睡状態に入るなんて全く想像していなかったから、その日は1日中息子達と泣いて泣いて過ごした日。 いつも通りになったタケさんに前日の昏睡状態の時の話をしたのだけれど、何の記憶も無いタケさんは、ある意味他人事のように、驚きながら私達の話を聞いているように感じました。 【計画していた小旅行をどうするか】 タケさんのどうしても叶えたかった夢。 友人の宮司さん... -
夫の突然の昏睡状態/終末期のこと[13]
タケさんの闘病『友人が宮司をしている神社で祈祷をしてもらう』夫タケさんのどうしても叶えたかった夢。 その夢を叶える為に訪問医と訪問看護師とで調整を進めていました。 決行日の4日前の2021年11月27日、タケさんは突然昏睡状態に入りました。 【訪問看護師が来るようになった日常】 訪問看護師のお二人がうちに毎日来るようになって生活が大きく変わりました。 訪問看護師さんの田中さんと吉永さん。毎日前日の夜に「明日は◯時頃伺います」と連絡が来て、当日どちらか1人がやってきます。 この頃のお二人のやる事と言えば血... -
嬉しい怒涛の訪問者ラッシュ/終末期のこと[12]
タケさんの闘病2021年10月、上顎洞癌(腺様嚢胞癌)が脳に転移した事で夫タケさんは余命宣告されました。 そこからタケさんは急いで準備を始めます。 会社を守ること。家族を守ること。 そして会いたい人に会うこと。 【怒涛の自宅訪問ラッシュ】 タケさんは ・自分が余命宣告されたこと ・(まだまだ闘うので死ぬつもりはないが…と前置きして)会いたいけれど自分は歩行が難しいのでうちに来てほしい と会いたい人たちに連絡しました。 そこから怒涛の自宅訪問ラッシュが始まります。 夫の人柄 タケさんは家族にはとにかく明る... -
ピンチの時に感じるご縁と人の温かさ/終末期のこと[11]
タケさんの闘病余命宣告後に緩和ケアに移行した夫タケさん。その時には癌の脳転移で左目が見えなくなっていたけれど、右目は見えていました。片目が見えなくてももう片目は見えていたので日常生活は問題なく送れていました。 それから1ヶ月ちょっとで右目の見え辛さを自覚するようになり、訪問看護師さんの初回訪問の頃には右目もほとんど見えなくなって、両目が見えなくなった不安で押し潰されそうな日々を送るようになっていました。 【偶然とは思えないようなご縁】 我が家に来てくれた訪問看護師さん。男性と女性の2名体制... -
訪問看護師との出会い②/終末期のこと[10]
タケさんの闘病余命宣告された夫タケさんを自宅で看取るため、訪問医と訪問看護師にお世話になることにしました。 以前の訪問看護師に嫌な思いをした経験を思い出してしまって、なるべく先延ばしにしたい気分になった事で、「明日お邪魔したい」という電話を「もう少し延期してほしい」とお願いしました。 その先延ばしした期間に右目の見え辛さを感じるようになり、訪問看護師さんが初回に訪問してくれた時には全くと言っていいほど見えなくなっていました。 両目が見えない不安に押し潰されそうな日々。 『あと⚪︎日で看... -
両目が見えなくなるということ/片目が見えないこととの差/終末期のこと[9]
タケさんの闘病夫タケさんは上顎洞癌(腺様嚢胞癌)が脳に転移して余命宣告をされた時、既に癌が視神経を圧迫し左目は見えなくなっていました。 「今後癌が大きくなる事で右目も見えなくなるであろう」と大学病院の主治医からは言われていました。 でも、在宅医療に切り替えた訪問医からは、「両目が見えなくなるまで生きていられないであろう」と言われた事で、大いに心配はしつつも『両目が見えなくなる』という状態をどこか他人事のように考えていたように思います。 いつもの『まさかうちにそんなことが訪れるはずがない』と... -
訪問看護師との出会い①/終末期のこと[8]
タケさんの闘病余命宣告を受け、夫タケさんを自宅で看取る為、ケアマネさんが選定した訪問医と訪問看護師にお世話になることにしました。 訪問医との出会い ↓↓↓ 【訪問看護の嫌な思い出】 『訪問看護』と聞いて、嫌な思いが湧いて出て、夫タケさんを自宅で看取る為には必要な事だと分かっていても、『なるべく先延ばしにしたい』、条件反射的にそう思ってしまっていました。 以前、訪問看護をお願いしていたのはタケさんのお母さんを在宅介護していた時。 「自分の娘だと思っている」私のことをそう言ってくれていたタケさんのお... -
会いたかった兄との時間②/終末期のこと[7]
タケさんの闘病2021年10月下旬『夫タケさんの余命が週単位である可能性も十分に考えられる』と説明し、一刻も早く帰国できないかとタケさんに内緒でLINEしてから5日後の飛行機で帰国した兄。 中国に単身赴任中だった兄。 この頃はまだゼロコロナ政策中であり、人の往来も少なかった時期。 帰国したのはいいものの、日本での隔離生活2週間。中国に帰った後もホテルでの隔離生活3週間。合計5週間の隔離生活を覚悟して帰国してきてくれました。 タケさんとの再会を果たしたのは隔離期間が明けた11月中旬のこと。 隔離明けすぐに1人... -
恐れていたことが…/両目失明/終末期のこと[6]
タケさんの闘病上顎洞癌(腺様嚢胞癌)の再発によって、癌が脳に転移し緩和ケアに移行した夫タケさん。 余命宣告された時には既に左目は見えなくなっていて、右目も見えなくなる事が十分に考えられる状況ではありました。 在宅医療の医師から『両目が見えなくなる状態になるという頃までは生きられないであろう』と言われたのが11月初旬。 両目が見えなくなる可能性は心の片隅に置きながらも医師の言葉もあり「そんな事は無いだろう」なんて不安を上書きするかのように不安に蓋をして日々を過ごした、というのが正しい表現だった...