納骨を済ませて思うこと

  • URLをコピーしました!

とうとう納骨の日。

タケさんのお墓は自宅から車で10分の市営墓園。10分車を走らせると山間部に入るのです(笑)。程よい田舎です。小高い山の上にあり鳥の声が響く静かなところ。

とうとう一昨日、納骨を済ませました。本当は6月にお墓は完成していたのですが、完成の連絡が入った途端に梅雨明けからの猛暑。来てくれる方々の体調を考慮して涼しくなってから納骨することにしました。

…でもそれはタケさんのお骨が家から無くなってしまうのが寂しかった私の言い訳だったのかも。延期した事で安心したのが本音です。

目次

タケさんが希望した「お墓に入る」ということ

既に他界していますが、私はタケさんの両親が大好きでした。22歳で結婚する前から何度もタケさんの実家に通っていました。楽しい家族。笑い声が溢れていて、そこに仲間入りさせてもらう時間が幸せでした。

タケさんのお母さんは倹約家で自分が欲しいものを我慢して貯金していました。亡くなるまで息子2人の家族にお金の負担は一切させなかったあっぱれなお母さん。自分達が入るお墓も近所に作っていて亡くなったら刻印をすればいいだけにしていたんです。すごいでしょ。なかなかできることではありません。

でも、先にお父さん、3年後にお母さんが亡くなって、そのお墓は息子達が通うには遠い場所になりました。

私の家からは車だと首都高を通過して片道2時間半。電車とバスを乗り継いだら3時間半。どちらにしても1日がかりです。なかなか行けないと申し訳なくて罪悪感に包まれます。

そんな中で培われた私の考えは、“パカラさんとゴボさんに私と同じ思いはさせたくない“ということ。お墓参りをしなきゃいけない呪縛から解き放ってあげたいと思っていました。私はお墓はいらない。海に散骨して、私の誕生日とか命日とかに私の事を思い出してくれればそれがいいなと。時々タケさんにも私のそんな考えを話していました。

タケさんの癌が脳に転移しました。もう治療法は無く、緩和ケアに入る事になりました。

「まだ死ぬつもりはない」と言いながらタケさんはあれこれ慌てて準備に入ります。会社を次に繋ぐこと、家族にお金を残すこと、会いたい人に会うこと。

私も少しでもタケさんの意思に添う最期をと思ってもなかなか亡くなるときのことなど話を切り出せません。でもタケさんの意思を聞きたい。意を決して話をしました。私はお墓に関してはこう思っているけれどタケさんはどうしたい?と。

数日後にタケさんが私に話してくれたこと

  • やっぱりお墓に入りたい
  • 俺を思い出す場所、誰かがここに来れば俺に会える場所が欲しい
  • どれくらい後か分からないけど、お墓ににょろちゃんも一緒に入って欲しい

お互い平静を保ちながら、ちょっと涙ぐみながら話をしました。

タケさんが亡くなってから思うのは、あの時ちゃんとタケさんの意思を確認して本当に良かったということ。確認していなかったら、タケさんならどう思うだろうと悩みながら、でもきっと私の思想を軸に散骨していたのだろうと思うのです。それはそれでタケさんの気持ちを知らなかった訳だから悩んで決めた事だから良いとは思うんです。

でも「タケさんの意思」という私の進む方向が見えていた事で真っ直ぐに「お墓を建てる」という道に進めたことは私の心の負担をものすごく楽にしてくれました。

市営墓園、管理費を数年払わなければ共同納骨堂に移されます。私も一緒のお墓に入ってもっとずっと後、そんな日も来ると思うのです。でもそれはそれで誰かが手を合わせてくれるのも悪くないなと思ってます。

無事に納骨を済ませ、いつもお骨が横にあった仏壇を眺めてみると、ひと段落したという気持ちになっていました。不思議ですね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次