夫タケさんは上顎洞癌(腺様嚢胞癌)が脳に転移して余命宣告をされた時、既に癌が視神経を圧迫し左目は見えなくなっていました。
「今後癌が大きくなる事で右目も見えなくなるであろう」と大学病院の主治医からは言われていました。
でも、在宅医療に切り替えた訪問医からは、「両目が見えなくなるまで生きていられないであろう」と言われた事で、大いに心配はしつつも『両目が見えなくなる』という状態をどこか他人事のように考えていたように思います。
いつもの『まさかうちにそんなことが訪れるはずがない』というような、変な自信です。
まさかは訪れる…今まで何度となく味わってその度に狼狽えてきた事なのに、です。
右目が見えづらさを感じるようになったのが2021年11月中旬。余命宣告されてから1ヶ月も経っていません。
それから1週間ほどで右目の視力を失いました。
片目が見えない事と両目が見えない事は全く違う
片目が見えなくなった時、本当に心配しました。
でも生活は見えなくなる前と『何ら変わらない』というのが正直なところ。
タケさん本人は不都合もあったのですが、生活は変わらず送れていました。
でも両目が見えなくなると生活は一変します。
怖くて歩けない
抗がん剤の副作用で歩行が困難だったので、介護保険サービスを使って手すりはあちこちに付けてもらっていました。
見えなくなったことで、新たに手すりを増設しました。
介護用品レンタルのスタッフが来てくれて、
トイレ、洗面所、風呂、リビング、ダイニング…
タケさんが歩く経路上を、両手を離す事無く手すりを使って歩けるよう、目を瞑りながら何度もシミュレーションして設置してもらいました。
それだけたくさん手すりをつけてもらって、その上10年以上暮らしている住み慣れた我が家なのに、怖くてなかなか一歩が出ません。
次の手すりはどこにあるか?と何度も何度も家族に確認します。
ただでさえ歩行が困難なのですから普通に歩ける人よりも余計に怖いのだと思います。
タケさんが移動する時には誰かしらが必ずそばについているようになりました。
1人で食べられない
1人で食事が出来なくなりました。
ほとんどのものは口まで運んであげなくてはいけなくなりました。
仕事ができない
仕事がほぼ出来なくなりました。
急な社長交代で、引き継ぎ等、事務的に必要な事は音声通話で。
メールのやりとりやその他必要な作業は全て長男パカラさんがタケさんの指示を聞きながら代行することに。
仕事上できる事がほとんど無くなっていき、タケさんも寝ている時間が増えていきました。
視線が合わない
両目が見えなくなって視線が合わなくなりました。
声を掛けても違う方を見ている感じ。
写真を撮る時、タケさんが「目線が合ってるか分からないから教えて」と言うので、
「もうちょっと右見て」「もうちょっと上」
と声を掛けて写真を撮りますが、そんな風にして視線をもらってもちゃんとは合いません。
他にもたくさん…
リモコンやらなにやらのベッドや机周りに置いてあったもの。手を伸ばせば取れるものが取れない
今何時か分からない
口に入れたものが何味か分からない
などなど他にもたくさん…
私の休職
余命宣告された時から仕事をセーブして家にいる時間を増やしていた私でしたが、
見えなくなった事で休職する事にしました。
今まではタケさんの会社で働いていたパカラさんが在宅に切り替えタケさんのサポートをしてくれていましたが、それも限界でした。
一番大変で辛くて怖い思いをしているのはタケさんなのに、
こんな状況でも「ありがとう」「悪いね」「申し訳ない」と家族を思いやる声かけをしてくれていました。
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