タケさんは社員数名の小さなITのソフトハウスの経営者。自宅から車で10分のアパートの一室に月曜から金曜までパカラさんと一緒に毎日通います。
ゴボさんが小学生でサッカーを始めたのをきっかけに少年サッカーのコーチになり(もちろん無給ですよ)、ゴボさんが卒業後もコーチを続けていました。
平日は遅くまで仕事、土日祝日は少年サッカーのコーチ。家族で出かけるのは数えるほどでそれが当たり前の生活でした。時々4人で夜ご飯を食べに出かけるのが唯一と言っていいくらいのお出掛けパターンだったかな。
夫婦で出かけるのはこの先いつでもできると思っていたし、お互い40代。まだまだ“夫婦2人の生活を考える“なんてことする必要ないと思ってました。ぼんやり想像する老後2人での生活。そんな生活は当たり前に来ると思ってたんです。
癌告知を受けてから、一気に世界が変わりました。
水の中に沈んで息苦しくて、周りの声がグワングワン響くだけで聞こえてこない。病気の金魚が酸素を求めて必死に水面に口をパクパクするような…
「なんで?なんでタケさん?」
「タケさん、まだ47歳だよ」
「タケさん、一生懸命生きてるよ。何も悪いことしてないのに。」
「神様は意地悪だ。連れて行くならもっと悪い人いっぱいいるのに。なんでタケさんを連れて行こうとするの?」
「タケさんがもしいなくなったら…」
「会社はどうなる?社員みんなの生活は?」
「まだゴボさんは高校生、これからが金銭的に大変な時期だよ。」
「私、一人で老後を過ごすの?」
なんでもないただのいつもの時間でも何度も何度も息苦しい水の中に引きずり込まれて涙が。
私が泣いたら一番大変な思いをしているタケさんも、息子達も、私の心配をして泣けなくなる。涙を急いで乾かすことに必死な毎日でした。
癌 ステージⅣ
大きな大学病院で夫婦で聞いたタケさんの病状。
左副鼻腔悪性腫瘍、ステージⅣ
そう書いてある紙を手渡されてからのすぐの教授説明。
教授先生は笑顔で(私達夫婦の不安を煽らないように)説明してくれたんだけれども、その時は分からない事だらけであれこれ質問もしたんだけれども、ステージⅣという現実が頭の中を支配してどうにも止められなくて。
「ステージⅣってどういうこと?1〜4の中の4だよね?それって末期癌ってこと?」
思い出すのは4年前。タケさんのお父さんが胃癌ステージⅢの告知から2ヶ月で亡くなってしまったこと。
「ステージⅢで2ヶ月だったのにステージⅣって…」
診察室を出て主治医の説明を聞くために診察室前の椅子に座った途端に涙が出てきてしまって、今まで我慢していた分、止まらなくなってしまって、人前で、タケさんの前で泣いて泣いて泣いてタケさんを困らせて、泣き腫らした顔で担当医の説明を聞いて。
ステージⅣの重みで私が耐えられずに泣いてしまったこと、タケさんには話せなかったので、タケさんは私がなぜ突然止まらないくらい泣いたのか分からなくてただひたすら困ったのだと思う。
その後、私の涙が止まってからは、病院の中、帰り道の車の中、今後の治療について普通に真剣に話し合えた。
帰宅してから、私1人で買い物に歩いて出掛けた帰り、なぜか家の前でタケさんが待っていて「おかえり」って言ってくれた。思わず抱きついて泣いた。
家に入って、私が泣き止んで、落ち着いてから
「にょろちゃん、泣かないでほしい。」
「にょろちゃんが泣くともう本当にダメなんじゃないかと思ってしまう。」
「まだまだ頑張るから。大丈夫だから。」
ごめんね。不安が止まらなくなっちゃって。そうだよね。分かった。
そう言ったその日から私の泣かない日々がスタートしました。
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