何年か前、近所のホームセンターで1人で買い物をしていた時のこと。
旦那さんと奥さんと3歳くらいの子どもを連れた3人家族とすれ違いました。
その時していた会話にものすごく驚いたんです。
奥さんが軽ーい感じで欲しいと言ったフライパン。
それを「(はぁ??って感じで)フライパンなんてそんなに必要ないだろう!」と旦那さん、怒鳴って却下したんです。
私『………マジですか………ちっちゃい男だな』と思わず声に出しそうになりました。(もちろん出してませんよ(笑))
もちろん事情があるのかも知れませんよ。
ものすごく貧乏だとか、本当にフライパンを100個くらい持ってるとか…
でも、この奥さんはフライパンを買う権限も無いんだなぁと驚くのと同時に
『やっぱりタケさんは男前なんだな』とその時思ったワケで…
否定をしなかった夫タケさん
私の夫、タケさんは、私の意思に関してほとんど否定をするという事をしませんでした。
何を買おうと、誰とどこに行こうと…
「〇〇が欲しいなぁ」と言うと「買いなよ」言う。
安価なものでも高価なものでも同じ。
たぶん一度も「それは買ったらダメ」なんて言われた事がないのではないか?…思い出せないだけ?いや、きっと無いはず。
もちろん家計を預かっているのは私なので、欲しいものを全て買うかと言ったら買えないのだけれど、『買う』か『買わない』か最終的には私が決めるんです。決める事ができるんです。
一生懸命悩みます。お財布と相談もして悩んで悩んで結局買わなかったり…
でも「ダメ」と言われて買わなかったのと、自分で決めて買わなかったのでは私の心の中は大きく変わると思うんです。
誰かと出掛けるのも同じ。
「行っておいでよ」と言う。
誰とどこに行こうといつも快く送り出してくれました。
それこそ、男性と1対1でも「いいよ」と言う。
「ダメ」と言われれば『我慢させられている』という窮屈な感覚になるところ。
でも「いいよ」と言われると、自分で考えるようになって、
私が嫌だと感じる事はやめよう…となってくるのが不思議。
決定権は私にあるので、『行く』も『行かない』も自由なんです。
私がされたら嫌だから男性と2人で出かけるのはやめよう、とか
(まだ子どもが小さくて)タケさんにだけ子どもを任せるのは大変だからやめておこう、
とか考える。
タケさんの手のひらの上で自由に生きていた私
タケさんはうちは『かかあ天下』なんてよく言ってましたけど、
そうやって考えると『私はタケさんの大きな大きな手のひらの上で自由に生きていたのだ』と感じます。
実はかかあ天下にさせてくれていたのはタケさんなんだな。意外と策士なのかも?(笑)
いや、ほんと、タケさんは男前ですわ。
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