タケさんが亡くなって一年が過ぎました。
命日、この日が近くなってきて、その日を想像するとなんだかソワソワしたような落ち着かない変な気持ちになっていました。
大笑いして泣いたこと
命日の前日のこと。
夕飯ができたので、2階の自分の部屋にいるパカラさんに
「ご飯だよ〜」といつものように叫ぶと
パカラさんのなんだかよく聞き取れない大きな声。
「え?なに〜?なんて言った〜?」と叫ぶ私。
パカラさん「データ転送があと数%で終わるからちょっと待って〜」
私「スーパー銭湯ってなに〜〜〜???」
………
なんて言ったか説明を聞いて2人で大笑い。
お腹だけじゃなくて背中まで痛くなるくらい2人で笑って、
笑って笑って笑って、泣いて泣いて泣きました。
私のこんな発言は日常茶飯事で、そんな私の“会話の前後を考えずに聞こえたまま口に出す”癖を何より喜んだのはタケさんで、私の発言をデフォルメして話を大きくして笑いのネタにするのを何より楽しんでいたよね。
それこそ、付き合う前の30年以上前の失言まで。
友人・仕事関係・サッカー関係・親戚など関係なくそんな話をするもんから、知らぬ間に私は相当な天然キャラになっていたんだから。
大笑いしてタケさんが恋しくて笑いながら泣いて、泣いて泣きました。
タケさんが亡くなってはじめての〇〇からの卒業
命日を過ぎると“タケさんが亡くなって初めての〇〇”の呪縛から解き放たれることになります。
一年経ってみると、確かに初めの頃よりも水中に引きずり込まれるような苦しさは減ってきたように感じます。
この苦しさは“初めての”が無くなったらどんどん軽減するものなのかしら。
先日恩師から予測しないタイミングで「この一年笑顔でよく頑張ってきたよね。闘病中もよく支えたね」と言っていただいた時、泣いてしまいそうで大した返しも出来ずに「ありがとうございます」しか言葉が出てきませんでした。
そんな事を繰り返すうちに段々とちゃんとした返しができるようになるのかしら。
ちゃんとした返しが上手くできるようになったとしても、やっぱり寂しいです。恋しいです。
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