上顎洞癌(腺様嚢胞癌)の再発によって、癌が脳に転移し緩和ケアに移行した夫タケさん。
余命宣告された時には既に左目は見えなくなっていて、右目も見えなくなる事が十分に考えられる状況ではありました。
在宅医療の医師から『両目が見えなくなる状態になるという頃までは生きられないであろう』と言われたのが11月初旬。
両目が見えなくなる可能性は心の片隅に置きながらも医師の言葉もあり「そんな事は無いだろう」なんて不安を上書きするかのように不安に蓋をして日々を過ごした、というのが正しい表現だったように思います。
目次
右目が見え辛くなる
左目は数日でほとんど見えなくなり、緩和ケアに入る頃には全く見えなくなっていました。
『見えなくなり始めたらものすごいスピード感で進行していく』というのが体感で、当然右目も見えなくなり始めたら早いであろうというのは簡単に想像できました。
その日は予想より遥かに早く訪れました。
右目の見え辛さを最初に感じたのは11月中旬のことでした。
タケさんから見え辛さを初めて伝えられた時、
まさか…
と信じたくない気持ちと
どうしよう…
という言いようのない不安と
マズイ…
という『これから短期間で見えなくなっていく事に備えなきゃ』という焦る気持ちと
いろんな気持ちがグルグルと心の中で渦を巻いた出来事でした。
この日から両目失明まで1週間くらいだったでしょうか…
急ピッチで手すりの増設を進めました。
恐れていたことが…/両目失明/終末期のこと[6]
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