①重粒子線治療までのこと– category –
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夫がステージⅣの癌だと分かるまで 妻の私が何を思っていたか
①重粒子線治療までのことタケさんは社員数名の小さなITのソフトハウスの経営者。自宅から車で10分のアパートの一室に月曜から金曜までパカラさんと一緒に毎日通います。 ゴボさんが小学生でサッカーを始めたのをきっかけに少年サッカーのコーチになり(もちろん無給ですよ)、ゴボさんが卒業後もコーチを続けていました。 平日は遅くまで仕事、土日祝日は少年サッカーのコーチ。家族で出かけるのは数えるほどでそれが当たり前の生活でした。時々4人で夜ご飯を食べに出かけるのが唯一と言っていいくらいのお出掛けパターンだったかな。 夫... -
大学病院での検査・診断/重粒子線治療という名前を初めて知った日
①重粒子線治療までのこと近所の大学病院(家から車で15分)から最短の日程調整をしてもらって8月26日、大きな大学病院(家から車で1時間)へ。 初診で担当医との問診後から連続で検査検査。その間タケさんは何度も仕事を抜けて病院に通います。 混んでいて大学病院だと随分先になってしまう検査はその専門施設に行ったり・・・と、とにかく最短で治療が始められるように急ぎました。 9月5日、検査がひと通り終わって、担当医ではなく教授から検査結果についての話があり、夫婦で話を聞きに行きました。 最初に手渡された病状の説明につい... -
腺様嚢胞癌と診断されるまで②
①重粒子線治療までのことタケさんと2人で近所の大学病院に行ったのはそれから数日後のこと。 あ、ちなみに禁煙禁酒宣言はこの時既に破られていました(笑)そりゃそうですよ。こんな大きなストレスに晒されているのに解消するものを取り上げたら病気になっちゃいますよ。 8月22日CT検査。翌23日、診察室に夫婦で通されました。 上顎洞に間違いなく癌がある事。腺様嚢胞癌という珍しいタイプの癌である事。この病院では治療はできないので大きな大学病院を紹介するのでそこで診てもらってくださいとの事。 最短の日程を調整してもらい診察室... -
腺様嚢胞癌と診断されるまで①
①重粒子線治療までのことタケさんは昔から病院嫌い。採血も腕は見ない派です。年に一度受けられる人間ドックはしぶしぶ2年に一度くらいは受けていました。 タケさんと私は新卒同期入社。出会った時には既に酷い花粉症でした。クシャミの声が大きくて、連発するクシャミに会社の皆んなで笑ったものです。 まだ花粉症などという名前も知られていない小学生の頃から症状はあって、子どもの頃は何度も病院に通っていたそう。 「タケさん=花粉症」本人も家族も周りの人もそれが当たり前に思っていました。症状が酷い時だけ市販薬を服用してい... -
腺様嚢胞癌のタケさんがしてきた治療
①重粒子線治療までのことタケさんが旅立ってから9か月が経ちました。 最初はただただ手続きに追われる日々。人が亡くなったばかりだというのに役所は何を考えているんだと腹立たしい気さえしていました。タケさんは小さいけれど会社を経営していたので、そちらでも手続きがあれこれ必要で週に何度も役所に行っていた気がします。最初は「役所の陰謀か?」などとぼやいていた私もそのうちに「忙しくさせて遺族に寂しさを紛らわせる優しさなのかも」なんて思うようになったりして。 忙殺される期間がほんの少し落ち着いてきたあとは人と会う...
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